情熱のトラ男

仲村トオル 渡部優衣 金田明夫

鳥谷宏之 山本真敬 阿川若生 緒方ちか
木村玲子 佐々木健吾 野町祐太 高石唯 雨崎まい

Illust 松浦健人

監督・脚本:内片輝

エンタメ音声アプリZOWAにて配信中

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About

最高
1985年阪神タイガースの物語
ボイスドラマ体感せよ!!

少年たちが将来、
野球選手になることを夢見た時代

希望と夢、そして涙に溢れた
「1985年の阪神タイガース」
アナウンサーの実況
トラ番記者の視点から、
実際に起こった出来事をもとに描く本作。

心の支えであった球団社長が喪失、
万年ダメ虎の異名で揶揄されていたチームの再生、
1985年の阪神タイガースには
様々なドラマがありました。
当時その出来事に
傷付き、叫び、魂を揺さぶられた
野球ファンたちが作った
熱くて切ない物語です。

Cast

鶴田泰幸CV 仲村トオル

大阪のテレビ局(大阪テレビ)アナウンス部所属の ベテランスポーツアナウンサー。
巧みな話術と阪神タイガースに対する熱意が評価され、
関西では「ミスタートラ男(おとこ)」という呼び名で
人気芸人並みの知名度を誇る。

三沢友実CV 渡部優衣

神戸のスポーツ紙「タイムリースポーツ」2年目の 新人記者。大阪府茨木市出身。
野球に興味がなく、小説家を目指していて、
文章をかけるからという理由で就職した。

中埜肇CV 金田明夫

阪神タイガース球団社長。85年のシーズンから現職。
チーム愛の反面、野球には詳しくないという自覚があり、毎日スポーツ紙を熱読している。

Staff

監督・脚本 内片輝

ドラマ監督。最近の作品に「眼の壁」「邪神の天秤〜公安分析班〜」(WOWOW)ほか。
「相棒」シリーズ(テレビ朝日)、「蝶の力学〜殺人分析班シリーズ〜」「密告はうたう」(WOWOW)など、日本では数少ないハードボイルド・クライムサスペンスを撮れる監督として定評がある。2022年WOWOWクリエイターアワード優秀賞受賞。
演出家のもう一つの側面として、朝日放送所属時代には夏の甲子園高校野球中継でのディレクション経験あり。吉本新喜劇も数年にわたり演出し、どっぷり大阪のキャリアも併せ持つ。

イラスト 松浦健人

マンガ家・イラストレーター。
2019年、週刊少年ジャンプにて『トーキョー忍スクワッド』(原作:田中勇輝)、2020年、同誌にて『仄見える少年』(原作:後藤冬吾)にて作画担当として連載。今夏、同誌に掲載された読み切り「ハルカゼマウンド」は本格野球ストーリー漫画として話題となった。

What's 1985


▲デイリースポーツ昭和60年(1985年)10月17日付
(資料:デイリースポーツ提供)

1984年を6チーム中4位のBクラス、優勝した広島とは23ゲーム差という低迷でシーズンを終えた阪神タイガース。 成績不振もあり、安藤統男は監督を辞任。 新たに吉田義男が監督就任となり、1985年を新体制で迎える。

先発投手陣の強化が改善できず、外野手だった岡田を二塁手に起用。二塁手の真弓は外野手にコンバート。 さらにベテラン捕手ではなく、3年目の木戸を正捕手に起用するなど開幕前から不安要素が多かった。

しかし、4月17日の対巨人戦(甲子園球場)ではバース、掛布、岡田が巨人の先発の槙原寛己からバックスクリーンに3連発ホームランという偉業を達成。
この日、甲子園球場の勝利は球場に訪れたファンだけでなく、テレビ、ラジオで視聴していた阪神タイガースファンの中で伝説となっている。

1985年は主に1番・真弓、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線「ニューダイナマイト打線」が大活躍し、最終的に本塁打セリーグ記録を更新する219本塁打を記録。バースは史上6人(8度)目、外国人選手2人目の三冠王を達成した。

投手陣も強力打線を支える形でゲイルが軸となり13勝、中田が先発に加わり12勝、池田が9勝で三本柱となった。抑えとしては2年目の中西が11勝19セーブと活躍し、リーグ最優秀救援投手のタイトルを獲得した。8月に6連敗を喫し、8月終了時には2位巨人と0.5ゲーム差、3位広島とは1.0ゲーム差の大混戦となったが、9月には勢いを掴み、1964年以来、21年ぶり7度目のリーグ優勝と1リーグ時代から約38年ぶり、2リーグ制になってから初の日本一を達成するシーズンとなった。

成績表

資料:デイリースポーツ提供

1985年の当時を知る阪神担当記者
株式会社デイリースポーツ代表取締役社長

改発博明氏は語る

Q.1985年のシーズンについて、ペナントレースの盛り上がりと夏に3位へ転落し、その後優勝した1年を通して阪神タイガースファンや選手たちの様子が記者の目から見てどう映りましたでしょうか?
A.シーズン前は「今年こそ優勝だ」という緊迫感はなかった。ただ吉田監督に替わった1年目で選手が充実期に入っていた。岡田を二塁に、捕手に木戸をと守備でキーになる選手を固定した。打線はバース、掛布、岡田と不動のクリーンアップ。平田は守備の人。真弓は一発のある1番打者。弘田はつなぎ役。佐野はいぶし銀。守備固めは北村、吉竹、渡真利と主役、脇役の役割分担がキャンプからはっきりしていた。開幕広島戦は隠し球でサヨナラ負け、甲子園バックスクリーン3連発、日航機事故と節目で記憶に残るような出来事があった。そのたびに選手の目に「優勝」という目標が浮かび始めた。
Q.1985年頃(昭和)の阪神タイガースファンは今のファンと違うところはありますでしょうか?(例:応援する際のマナー、今は家族連れが多くなったなど)
その中でも特に印象に残っている1985年のタイガースファンのエピソードを教えてください。
A.熱狂的な阪神ファンの思いが、21年ぶりの優勝に向けて全国的に広がった。雨で中止になると甲子園のグラウンドになだれ込んだり、審判の判定に怒って物を投げ込んだり、掛布が打てないと車に傷つけたり、今ではあり得ない過激なファンばかり。女性や家族連れは少なかった。おっさんがビール飲みながら憂さを晴らす対象がタイガース。期待を裏切る、勝てない、優勝できない、でも憎めない。「だからわしらが応援してやらんといかんのや」―。
Q.1985年当時、阪神タイガースのテレビやラジオの実況で今でも印象に残っていることがあれば教えてください。
A.21年ぶりの優勝で胴上げを誰もしたことがない。リーグ優勝では吉田監督が水平にならないし、日本一のときは吉田監督が裏返ってしまい「ああ吉田監督が裏返されてしまった。これではまるで大阪名物のお好み焼きです」と言ったアナウンサーがいた。
Q.1985年の阪神タイガースの選手について取材していて感じたことを教えてください。 (ピッチャー、バッターそれぞれで)
A.選手は大人の集団で、球場を離れるとみんなバラバラに行動していた。夏の平和台の福岡遠征では試合後の夕食会場に吉田監督と一枝コーチしか来なくて、40人分の用意をしていたホテルに叱られた。選手は全員博多のネオン街に出かけた。
Q.日本航空123便墜落事故が阪神タイガースの選手たちどのような影響を与えたか印象に残っている場面、取材をしたときに感じた印象などを教えてください。
A.日航機事故の後、チームは6連敗。同便に搭乗していた中埜肇(なかの・はじむ)球団社長は優しく、大きく、いつも笑みを絶やさずに選手をバックアップしていた。遺体はタイガースのネクタイピンで確認された。選手からも慕われていた。事故直前の福岡遠征にも来ていた。連敗する中で、選手会長の岡田が呼び掛けて、選手だけで集会を開いた。「中埜社長の霊前に、日本一のウイニングボールを届けよう」と初めて優勝を誓い合った。全員のサインを入れて届けた。
Q.1985年の阪神タイガースが1984年やそれまでとは違う!と感じたのはタイミングだったでしょうか?(そう感じた試合、取材の雰囲気など)
A.日航ジャンボ機事故の後、広島遠征の時に焼肉屋で集会。バースが涙ながらに、ナカノサンにと言った。選手の雰囲気が変わった。記者たちもまた、中埜社長は取材でよく知っている。いつも優しい受け答えだった。選手同様に「優勝原稿を書きたい。中埜社長の霊前に21年ぶりの憂愁を伝える自分の原稿が1面を飾る、新聞を届けたい」という思いを抱いた。
Q.リーグ優勝した時の街やファンの盛り上がりの様子はどう映りましたか?
A.優勝を決めた神宮球場はあまりの熱気で、事故防止のために外野の前5列は客を入れずにガードマンが並んだ。試合中に「引き分けでも優勝は決まるのか」とネット裏の記者席に、チームのスコアラーが聞きに来た。その夜は在版テレビ局が徹夜で阪神ファンの熱狂を三宮、甲子園、梅田、難波の生放送で伝えた。スポーツ新聞は徹夜で輪転機を回し、すべて最高部数を記録、よく朝の駅の売店は徹夜の行列ができていた。
Q.阪神タイガースを昭和、平成、令和と見続けて感じることを教えてください。
A.阪神ファンは関西の喜怒哀楽そのものである。

改発博明
1957年生まれ、兵庫県出身。80年入社。トラ番として85年の阪神を取材した。報道部長、編集局長などを経て、株式会社デイリースポーツ代表取締役社長。

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News

  • 2022.10.3

    第5話~8話が配信されました

  • 2022.9.30

    第2話~4話が配信されました

  • 2022.9.28

    第1話が配信されました